こんにちは。
私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。
脱サラして剣道ブロガー兼YouTuber(現在準備中)に転身しました。
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今回は、
「週0~1回の稽古で全日本剣道選手権大会県予選3位になった男の軌跡」
というテーマを取り上げていきます。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
週0~1回の稽古で全日本剣道選手権大会県予選3位になった男の軌跡
令和3年2月7日の日曜日に、全日本剣道選手権大会県予選(県剣道選手権大会)に参加してきました。
私は現在37歳で、この大会にはおよそ10年ほど出場していませんでした。自分はプレーヤーではないという気持ちがどこかにあったのと、稽古量に自信がなく「どうせ出ても…」という気持ちがあったため長らく参加を見送ってきました。
しかし今回、皆さんもご承知の通り、いわゆるコロナ禍の中で全日本剣道連盟は非常にイレギュラーな形で全日本選手権大会を開催することを決めました。剣道界の絶対王者「警察官」が各都道府県予選にすら出場できないのです。
私の大学の後輩は、自県の警察官としてここ数年県予選を連覇し続け本番の選手権でも数年間常に上位をキープし続けています。世界大会の優勝メンバーでもあります。そんな彼が今回の大会には「出場できない」という事実を知った時、日頃の彼の努力と、彼にかかる期待やプレッシャーを見知っている者として、心中いかばかりかと大変悲しい気持ちになりました。彼とは年齢こそ5つほど離れてはいますが、大学の同窓というだけではなく少年剣道の道場から同門として一緒に稽古をしてきた仲です。
そんな彼のために私ができること。(本当は彼のためではなく自分のためかもしれまんせんが…)
私はそう考え、悩みに悩んだ結果、今回の大会への出場を決意しました。
老体に鞭打って試合に出ることによって、たとえ1回戦で負けても、諦めない気持ちとか何かしらの気持ちを彼に伝えることができればよいと考えたのです。自分の中では「同窓のバトンをつなぐ」という気持ちで大会に出場しようと決めました。
今回の記事では、この試合に向けた準備と大会当日の様子を書いていきたいと思います。
項目は2つです。
・大会へ向けた準備
・大会当日
順に書きます。
大会へ向けた準備
私がこの大会へ出場すると決意したのが、1月22日のことです。やはり色々な葛藤があって申し込み締め切り日にようやく気持ちを固めてエントリーすることにしました。
したがって、大会へ向けた準備といっても、期間はわずかに2週間程度しかありません。併せてコロナ禍にあって私の所属する稽古会は活動休止中であり、結論からいって稽古を十分に積めたということはありませんでした。
しかし、私は平素から試合うんぬんと関わりなく、いつでも立ち合える状態をキープしておきたいという思いから、週1回の稽古プラス、道場での一人稽古、自宅での筋トレ・素振りを励行していたので、これが今回の試合では功を奏したといえます。
道場での一人稽古や自宅での筋トレ・素振りについては、後日別記事にて詳しく解説しようと思いますので、今回は詳細については割愛します。ともかく、最近は週1どころか週0回の稽古で試合に臨んだにしては、上々の試合内容と結果が得られたのは、自分なりに研究してきたものの成果だと思っています。
大会当日
大会当日ですが、今回の大会は無観客で行われたため、家族も友人も、選手以外の者はだれ一人としていませんでした。その代わり、家を出る前に妻がおにぎりとゼリーを持たせてくれました。後述しますが、これが試合の結果を大きく左右しました。
会場に着いて、なじみのメンバーと稽古をして、開会式に出て、試合が始まります。
今回の試合は、感染予防のための暫定規則に則り行われました。要するに、鍔迫り合いがほとんどない形式の試合です。審判長の先生から十分にその旨説明がありました。
参加人数はコロナ禍の影響で少なく、30名程度でした。私は、最年長参加者(37歳)でありトーナメントの第1シードの山に自分の名前がありました。
1回戦は、大学生(日本大学と記載有)の選手と対戦。おそらく最年少?約20歳年下の若者との対戦です。私は非常に緊張していました。約10年ぶりの今大会ですから当然です。でも、以前の私はこういう時、「緊張していないぞ」、「全然大丈夫だぞ」と自分に言い聞かせていたような気がします。他人だけでなく、自分に対しても「平静を装って」いたように記憶しています。
しかし今回は違いました。「あー、緊張しているなぁ。でも仕方ないよ。稽古も十分ではないし、久しぶりにこの大会にでるし、相手は20歳も年下だし」と「自分の緊張を自分に受け入れてあげる」ことが自然とできたように思いました。今振り返ってですが、自分を客観視できていたのではないでしょうか。それから、こちらは前から行っていますが、我が家の宗派である真言宗(弘法大師空海が開祖の高野山真言宗)の真言を唱えて試合に臨みます。
試合時間は5分で、老体には非常に長く感じられましたが、上述の通り今回の試合では落ち着いて試合をすることができていたように思います。おそらく試合開始から1分ほどは、1本も技を出さなかったのではなでしょうか?
体がかたかったということもあるでしょうが、私には「相手の選手が焦っているな」と感じられ、「空回りする相手に付き合う必要はないな」と考えあえて打突しませんでした。
その後相手の選手は予想通りの動きを見せます。打ちすぎると、いくら若くても疲れます。勢いが失われ、ますます動きが見えるようになりました。
私は彼が四隅に引いたところを見逃しませんでした。相手からすれば、追い込まれたこととその前に私が面を見せていたことが頭にあったのでしょう。私がススっと手元をあげると面を守ろうと相手の手元もあがります。その刹那に会心の小手が決まりました。1本勝ちの勝利です。
試合が終わった後、存外の勝利に多少とまどいましたが、すぐに「栄養と水分がいる」と感じました。そこで、妻が作ってくれた「おにぎり」が活躍します。中くらいの大きさのおにぎりを2個作ってくれていたので、必要な量だけ口にして、さらにゼリーとスポーツドリンクを飲みました。この「もぐもぐタイム」が私のさび付いたエンジンを少しでも動かしてくれる要素になったように思います。次の試合からも終わった後には必ず「もぐもぐタイム」をとりました。
続く2回戦は、再び大学生(国士舘大学と記載有)の選手と対戦。1回戦では2本勝ちを収めていた強者でした。1回戦もそうでしたが、正直にいって私の戦略からすれば「試合の序盤から中盤に取ったり取られたりする展開」は避けたかったです。なぜなら、体力に不安のある私は、なるべく体力を消耗しない試合展開を心がけなければならず、どちらかが1本をとってしまうと、そこから試合が激しく動き始めます。そうすると一気に体力を消耗してしまうのです。
「始め」が宣告されてから、「発声→一足一刀の間合い→剣先の攻防」見事に相手との呼吸がシンクロしました。さすがに国士舘大学の学生です。この年齢の若者とこういった攻め合いができるとは思っていませんでしたが、10秒ほど剣先の攻防をしたでしょうか。彼が思い切って渾身の面を打ってきました。私はその瞬間、作戦も戦略も、何もかも忘れてただ「剣道って美しいな」と思っていました。
私は彼の出頭を捉えて、結果的に相面での1本。自分が打ったことは嬉しかったですが、その時の私はそれ以上に相手の大学生の子への「感謝」の気持ちが湧いてきました。こういう攻防を、こういう剣道を目指してくれる若者がいてくれることに対する感謝です。
最初の戦略では後半戦で勝負する予定でしたから、いきなり予想外の出来事です。しかし、この若者に対して「逃げる」ことを私はしたくありませんでした。周りからどう見えたかはわかりませんが、その後もお互いに立派に攻め合うことができたのではないかと思います。試合は私の1本勝ちに終わりました。
3回戦は第1シードの選手と対戦です。年齢は23・4の若者で、若手警察官に並んで本県の次代を担う有望選手です。身長も私よりも随分と高く、体重もおそらく80キロ以上はあるのではないでしょうか。いわゆる「ゴツイ」選手です。やはり彼くらいの選手になると大学生とは違い現実的でなおかつ戦略的な戦い方をしてきます。豪快な面・小手と、繊細なかけ引きとを合わせた強者です。はじめの五分、私には全くのノーチャンスでした。多少ビビっていたこともあったのかもしれません。相手にもチャンスを与えませんしたが、身体の当たりが強く、体力が削られていき、非常に苦しい展開でした。
延長に入った前後は先が見通せず、ただ体力が消耗していくだけで、心の中で「はやく楽になりたい」という欲求が湧いてきました。つまり「負けてもいい」に近い感情です。いつもならそこで「面」といって「小手or胴」と打たれて終わっていたかもしれません。しかし今回は思いなおしました。「この大会に出場した理由は諦めない気持ちを伝えるため」であると。
そこから少し力が戻ったような気がします。神通力です((笑))。こちらが攻め入る時間が少し増えていきました。途中、小手から面と渡って相手の打突部位を捉えたかと思いましたが、旗1本で有効とならず、それでも五分五分か、わずかに優勢かもしれないと思い始めました。そこでふと、「相手も疲れている」ことに気が付きました。足が止まり始め、私の打突を避ける際、脇が開いているのです。
私は時が来るのを待ちました。説明するのは難しいですが、絶好のタイミングが訪れました。「逆胴」による1本です。第1シード撃破。
まさか、というか客観的に見て、私がここまで勝ち上がるなど会場の誰一人予想していなかったでしょう。しかし、現実には勝ち上がりました。ベスト4進出です。
続く準決勝の相手は、3つ年下の選手です。彼も30代半ばですから私と似た境遇ともいえます。しかも彼は、長年共に全国大会へ出場したり、また試合で対戦したりしてきた同志です。ただし、彼は全国大会の優勝経験などがあり実績では私を凌駕していることは確かです。
戦略はこれまでと同じです。そして彼も非常にテクニカルな試合運びが特徴で、一言でいって「試合巧者」です。打つ隙は与えずに、相手の隙を逃さない。試合のお手本のような人物です。稽古も試合も何度もしたことのある相手であり、打つところが本当に見当たりませんでした。
私はそれでも、どこかにあるはずの打突の機会を探しました。同時に「まだ早い、焦るな」と自分に言い聞かせて、強引な打突を自制しました。彼も延長にかけて脇が空き始めていたので、先ほどと同じように「逆胴」という選択肢もありましたが、これは諸刃の剣です。失敗すれば万事休す。先ほどの相手よりも機敏であるこの選手には簡単に打ってはまずいと思い自重していました。
「さあ、どうする」、「焦るな」、「じっくり待て」と慌ただしく動きながらも、自分の心にはそう言い聞かせながら延長戦を戦っていると、ふいにその時はやってきました。
ドンドーン!…「面あり」。
音が2回なったような気がしたのでおそらくフェイントからの裏面のような技を打たれたのだと思います。ただし、ほとんどその場面が記憶にありません。私は、老体に鞭打ってトーナメントを戦ってきましたが、とっくに体力の限界を超えていました。たった4試合しかしていませんが、今の私には5分プラス延長の4試合はフルマラソン級の消耗でした。思えば準々決勝で諦めかけたところで本当の体力は使い果たしていたのかもしれません。それにしても、完璧に打たれて、最後は見事に敗れました。
結果、私の敗れた選手が優勝を果たし全日本選手権大会へ出場します。もちろん試合に負けたことは悔しいですが、今までも共に戦ってきた同志であり、今回も鎬を削った者同士です。是非全日本選手権大会で健闘されることを祈ります。
まとめ
今回は、
「週0~1回の稽古で全日本剣道選手権大会県予選3位になった男の軌跡」
について書きました。
今回私は、約10年ぶりに、37歳にして、全日本剣道選手権大会の県予選へ出場しました。コロナ禍で出場を断念せざるを得なかった同窓の無念を晴らすためです。しかし今の私は週に1回の稽古のみ、しかもここ最近はコロナの影響で週0回と非常に厳しい中での戦いに挑みました。
それでも自宅トレや素振り・一人稽古をうまく活用して自分の技量をあげることができると考え、実践していきました。試合は準決勝で敗れ3位に終わりましたが、試合を通じて「諦めない気持ち」を自分や今回出場できなかった同窓の胸に届けることができていたら幸いです。
環境という言い訳、年齢という言い訳、コロナという言い訳、世の中には言い訳が転がっています。しかし、今回の私の同窓のように言い訳ではなく、本当に実現不可能な人々に対して、自分に甘えた言い訳は失礼です。今回、我ながらそういう風に思いました。今までは思うような結果が得られなかったときに、心の中で言い訳を必ずしていましたが、そういった精神はこれで断ち切って、何事も正直に、現実から目を背けずに立ち向かっていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。
それでは。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
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