高段者の先生へのかかり方とは?・剣道の「礼」は何のためか? ダブルで問題解決

礼をする人 剣道

 

こんにちは。

私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。

脱サラして剣道ブロガー兼Youtuber(現在準備中)に転身しました。

詳しくはプロフィールをご覧ください。

 

 

今回は、

高段者の先生へのかかり方とは?・剣道の「礼」は何のためか?

について、取り上げていきます。

2つの話題を手短に説明していきます。

 

剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」

 

高段者の先生へのかかり方とは?

 剣道で、高段者の先生にかかる方法として3つのポイントをあげて解説します。

・互角稽古ではなく指導稽古 

・先をかける 

・動作を機敏にする

 以上の3つです。順に解説します。

 

・互角稽古ではなく指導稽古 

 剣道の稽古は相手との関係により、互角稽古や指導稽古に分かれます。段位や年齢が近ければ互角稽古となりますし、段位や年齢が離れていれば指導稽古となります。「高校生が大人の先生にかかる」「八段の先生にかかる」などの場合は基本的に指導稽古となります。 

 互角稽古とは、その名の通り相手と自分が五分の気位で稽古をすることです。

 指導稽古とは、上位の先生に対して下位の者がかかっていき指導していただくという稽古です。詳しくは次の項で解説します。 

  

・先をかける 

 指導稽古でかかり手が意識しなければならないことは、「先をかける」ということです。つまり基本的には先に打っていくことが重要となります。 

 とはいえ、かかり稽古とも少し違いますので闇雲に打ち込んでいくのではなく、声を出して気迫が充実してきたら、「ここだっ!」と思う機会で思い切って打ち込んでいくのです。 

 ただし、「先」をかけていく中で、たまに相手の先生と合気に近い状態になる場合がありますので、そのような機会を捉えて出頭技などを出すことは決して悪いことではないと思います。 

 私がかつて、警視庁の稽古に参加させていただいた時には、若手の先生から、高段者の先生にかかる心得として「面だけを狙いなさい」、「絶対に目を離してはいけない」と注意していただきました。 「面だけを狙う」というのは少し過剰かもしれませんが、それぐらいの真っ直ぐとした気持ちが必要であるというアドバイスであったと受け止めています。 

 逆に、指導稽古でやってはいけないこともあります。それは初めから終わりまで、ずっと返し技や応じ技を狙って稽古することです。例えば、20代の身体能力に優れた剣道家と60代の高段者が稽古をして、20代の剣道家が全く打っていかなければ60代の高段者に打たれることはあまりないかもしれません。逆に出頭や返し技ばかり狙っていれば優位に立てる可能性すらあるかもしれません。しかしそれは反射能力や俊敏性に優れているからに過ぎず、そのような稽古は20代の剣道家にとって何の意味もありません。 

 高段者の先生と稽古をする最大の意味は「剣先の攻防」=「心の剣道」を体感することにあります。したがって、たとえ打たれることになったとしても、「待ち剣」になったり「ずるい技」ばかり狙ったりするべきではないのです。 

 

・動作を機敏にする 

 意外と理解されていないことが、「きびきびとした動き」の大切さです。例えば稽古の最中にがきれて元の位置に戻ることがたびたびあると思います。そのようなときに、ダラダラとするのは論外としても、悠々と歩いて元の位置に戻っている人を見かけることがあります。

 ある稽古会に八段の先生がいらっしゃれば、その稽古会の七段以下の先生方は皆、八段の先生にかかりたいと思うはずです。このように、八段の先生(高段者の先生)はできるだけ多くの人と稽古をする必要に迫られます。 

 その際に、ある一人との稽古では少しでも時間を切り詰めてほしいと待っている他の人は思うに違いありません。つまり、次に待っている人のことを考えれば悠々と歩いている暇などないのです。 

 また仮に、次に待っている人がいなくとも、「稽古を頂戴する」側の当たり前の作法として、「動作を機敏にする」つまり「きびきびと動く」ことは必要となってくることだと思います。 

 

 以上3つのポイントを解説しました。 

 私が社会人になってから意外に思ったことは、これらの私から見れば「常識」的なことを知らない人がとても多いのだなということです。幸いにも私は高校や大学時代に先輩や先生方に恵まれて、このようなことを厳しく指導していただきました。しかし、「名門大学出身者」や「学生時代全国○位」といった肩書をもちながらも、こういった作法を知らない人を見るととてもさみしい気持ちになります。それと同時に剣道をどのような気持ちで学んでいるのだろう?と不思議な気持ちになるのが正直なところです 

 この記事を読んでいただいた読者の方には、是非かかり手の作法を意識して高段者の先生にかかっていってほしいと思います。 

剣道の「礼」は何のためか? 

 この項では2つのポイントに分けて解説します。 

・尊敬の気持ちと感謝の気持ち 

・稽古への精神の入口 

  となります。順に解説します。

 

・尊敬の気持ちと感謝の気持ち 

 剣道の起源は言うまでもなく剣術にあります。日本刀による真剣勝負を体現しようとする「観念のスポーツ」が剣道です。 

「観念のスポーツ」に関する記事はこちらです↓↓ 

 剣道小ネタ【剣道とルーティン・剣道は「観念のスポーツ」】

 時代は変わって、現在我々は日本刀から竹刀に持ちかえて防具剣道を行っています。それにしても竹刀は日本刀の代用品ですし、単純に竹で作った道具で相手に打ち込むという危険な行為をすることには変わりありません。 

 剣道をするときには、お互いに剣道を修行するものとして尊敬の気持ちを持つと同時に、竹刀で頭や身体を「打たせていただく」ことに対する感謝の気持ちを持っておく必要があります。 

 それを形として表現するものこそ「礼」であると私は思います。ですので、剣道の礼は15度・30度と角度が決まっていたり、「目礼」はその名の通り相手の目を見てするなどの作法があります。自分の内面にある、「尊敬」や「感謝」の気持ちを外側に表すものこそ、「礼」であるといえます。 

 

・稽古への精神の入口 

 剣道では、始めの礼をしてから面をつけて、その後、相互の礼をしてから稽古が始まります。そういった意味では「礼」は稽古の開始を告げる合図でもあるわけです。礼をしたら「いよいよ稽古が始まる」という自分への合図でもあります。 

 そしてそれは、現代風に言えば一種の「ルーティン」とも言えます。始めの礼から相互の礼までの一連の流れを「ルーティン」化することによって稽古に対する集中力を高める効果が期待できます。 

「ルーティン」に関する詳しい説明は、過去の記事をご覧ください。下に掲載しています。 

 剣道小ネタ【剣道とルーティン・剣道は「観念のスポーツ」】

 心のこもった、美しい作法により、「礼」を形式化することによって、「礼」は「ルーティン」となり、意外な効果をもたらすことにつながります。そういった意味で、「礼」は稽古への精神の入口でもあるのです。 

 以上2点解説しました。 

 「礼」はその性質から、簡略化したり省略したりするべきものではありません。ただし、道場や学校の部活動を指導する中で、例えば打ち込みをまわり稽古で実施している時などに、「蹲踞」を省略することもあるでしょう。 

 そのような場合は、指導する生徒たちに本来の「礼」の意味合いをしっかりと指導する必要があることを覚えておきましょう。当たり前のように礼法の省略や簡略化をさせることは、剣道の本来の姿からかけ離れた指導につながる恐れがありますので、よく注意することが必要です。 

 

まとめ

 今回は、

 高段者の先生へのかかり方とは?・剣道の「礼」は何のためか?

 について解説しました。 

 ポイントは、①「先をかける」・「動作を機敏に」、②「尊敬」・「感謝」・「精神の入口」、の2つです。 

 特に社会人になってから、高段者の先生方に稽古を頂戴する際、気持ちの持ちようで稽古の質が大きく変わってくると同時に、あなたの剣道の成長も大きく変わってくることになるでしょう。「その時、その場の優劣」を競うのではなく、自分の修行者としての未来を想像しながら、「先をかける」稽古をしていきましょう。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。 

 それでは。 

 

 

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