こんにちは。
私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。
脱サラして剣道ブロガー兼Youtuber(現在準備中)に転身しました。
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今回は、「剣道小ネタ【剣道とルーティン・剣道は観念のスポーツ】」
について、取り上げていきます。
2つの話題を手短に説明していきます。
剣道とルーティン
「剣道には図らずもルーティンがある」ことを知っていますか?
その説明の前に、「ルーティン」という言葉をよく知らないという方のために、「ルーティン」について少し説明します。
2019年に日本でラグビーワールドカップが開催されたことで一躍脚光を浴びたラグビー日本代表ですが、そのラグビー人気のさきがけとなったのが、2015年大会場した五郎丸選手ではないでしょうか?そのプレーもさることながら、キックを蹴る前の「忍者のように両手をあわせるポーズ」が「五郎丸ポーズ」として注目を集めました。
あのように、プレーに対する集中力を高める一連の行動を「ルーティン」と言います。五郎丸選手に限らず現在では多くのスポーツ選手が「ルーティン」を行っています。
アメリカのメジャーリーグで活躍されたイチロー選手がバッターボックスへ入る一連の所作も同様のものです。
以上で「ルーティン」の説明は終わりです。
では本題に入ります。剣道には一体、どのような「ルーティン」があるというのでしょうか?
答えは、「礼法」あるいは「所作」です。
例えば、試合が始まる前のことを思い出してください。
まず、自分の試合が近づいてきたら面を着けますよね。面を着ける「所作」も大きくは変わりませんが、自分独自の手順があると思います。そして面を着けたら、立ち上がります。その際はご存知の通り「左座右起」の要領で右足から起立(跪居→長跪→右足→左足)します。前の試合が終わり自分の試合になると試合場の境界線の外側から内側へ入ります。そこから「礼法」が始まります。境界線から九歩の間合いまで歩を進め、相互の礼を行い帯刀、そこから右足→左足→右足(同時に抜刀)と三歩で距離を詰めて蹲踞します。
面を着ける
→右足から立ち上がる
→相互の礼をする
→三歩で相手との距離を詰めながら抜刀
→蹲踞
の順番です。
これら一連の「所作」と「礼法」をひとつひとつ丁寧に行っていくことで、自然と他の雑念は消え去り試合に集中することができると私は考えています。
これは現代で言う「ルーティン」に他ならないと私は主張します。一連の「礼法」と「所作」を行うことで試合に対する集中力を高めていくという点では間違いなくそういえると思います。(もちろん剣道の礼法には感謝や尊敬の気持ちを形式として表すという本来の礼としての意味がありますが、その副産物として「ルーティン」としての機能も有するという主張です)
もちろん、この一連の動作の間に、自分独自の「ルーティン」を追加することも自由です。
剣道や武道の「礼法所作」には、現代スポーツに欠かせない「ルーティン」の要素が含まれていると私は考えています。日本古来の武道である剣道にはスポーツ的合理性も備わっているということです。
我々現代の剣道家は先人の叡智に感謝と尊崇の念を持ちつつ、日本の伝統文化を正しく継承していきましょう。
剣道は「観念のスポーツ」
剣道は「観念のスポーツ」であると私は考えます。
武道とスポーツは似て非なるものという認識は、多くの剣道家にとっては当たり前の考えだと思います。この項ではスポーツと武道の違いについての詳しい言及は避けますが、簡単に言えば、武道の目的は「人間形成」であり、スポーツの目的は「楽しむ・勝つ」である、という違いになります。
※剣道とスポーツの違いについては下の記事をご覧ください↓↓
しかし、日常の会話や何かの説明の際、武道や剣道をスポーツと表現することも多々あります。そのため、剣道はスポーツの一種であるとした考え方が、剣道経験者でない方にとっては一般的になっているかもしれません。
そんな中で、私はスポーツという単語を使って剣道を表現するのに適した言葉はないだろうか?と考えました。そして浮かんだ答えが「観念のスポーツ」という言葉です。
ちなみに「観念」という単語を辞書で調べると、
観念 あるものについていだく意識内容。
とあります。
つまり、「○○だと思う」という事です。
剣道に当てはめます。
剣道では、「竹刀を日本刀だと思う」ことにしています。まさしく「観念のスポーツ」だと思うのです。サッカーにとってサッカーボールはサッカーボールでしかなく、野球にとって野球ボールは野球ボールでしかないのに対して、剣道では竹刀は「ただの竹刀」ではないのです。我々剣道家にとって「竹刀」は「日本刀」なのです。
であるがゆえに、剣道では真剣勝負が行われます。試合のルールこそ「三本勝負」が基本ですが、稽古では「初太刀一本」と言われるのも、「竹刀」=「日本刀」の観念があるためです。
私は学生の頃に先生から「構えが崩れたら自分から参りましたと言いなさい」と口酸っぱく言われました。これはサッカーでキーパーが、「ディフェンダーが抜かれて1対1になったら相手に1点あげなさい」とか、野球でピッチャーが「ど真ん中に投げてしまったら、ホームランと認めなさい」と言われているようなものですので、普通のスポーツに当てはめれば滑稽ですらあると思います。
しかし剣道ではこのようなことが平然と、しかも説得力をもって語られるのです。
理由は、剣道が「竹刀」=「日本刀」とする「観念のスポーツであるから」に他なりません。
私はこのような、ある意味矛盾に満ちた、決して他のスポーツと相容れないような剣道の特質を非常に好ましく思っています。日本の伝統文化として日本人の価値観や武士道精神とともに現在に受け継がれた剣道は「観念のスポーツ」であると私は高らかに宣言します。
まとめ
今回は、
「剣道小ネタ【剣道とルーティン・剣道は観念のスポーツ】」
について解説しました。
ポイントは、①剣道には図らずもルーティンが存在する、②剣道は「竹刀」=「日本刀」とする観念のスポーツ、の2つです。
剣道には、先人から受け継がれた知恵があります。剣道には愛すべき日本人の価値観があります。そんな剣道だからこそ、剣道経験者ではない人へ、もしくは外国人へ、正しく普及することは至難の業と言えるでしょう。もしかしたら、剣道や武道には、学ぶ人自身の「能動的な好奇心」が必要なのかもしれません。本来はこちらから「広めていく類のものではない」のかもしれません。(かといって、私は剣道人口拡大や海外への普及は剣道が直面する喫緊の課題として非常に重要であると認識しています)
※剣道人口増加に関する記事はこちらをご覧ください↓↓
あとがきが長くなりましたが、今回はこれにて記事を閉じたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。
それでは。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
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