剣道の最悪なシナリオ【悲報】

最悪な噂話をする人 剣道

 

こんにちは。

私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。

脱サラして剣道ブロガー兼YouTuber(現在準備中)に転身しました。

詳しくはプロフィールをご覧ください。

 

 

今回は、

「剣道の最悪なシナリオ

について、取り上げていきます。

 

 

剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」

 

剣道の最悪なシナリオ

 社会がテクノロジー化し剣道が国際化していく中で、剣道の行く末の最悪なシナリオについて解説していきたいと思います。

 今回は4つの項目に分けて解説していきます。

・競技化が確定

・判定にテクノロジーを採用

・礼法の廃止

・プロ化

 以上の4つです。順に解説します。

競技化が確定

 現在の剣道界は、特に学生剣道を中心として「勝利至上主義」に偏り過ぎていると言われています。つまり、剣道のもつ二面性のうち(一面は伝統文化的一面、もう一面は競技的一面)試合の勝ち負けを争う「競技」の部分に偏り過ぎているということです。

※剣道の二面性について解説した記事はこちらになります↓

剣道(武道)とスポーツの違いとは?【必見】

 剣道に試合がある以上、いや剣道の根本を考えてみても、試合の勝ち負けにこだわるということは極めて重要な要素です。ただし、あくまでもそれは要素であって「目的」ではありません。剣道の目的は、全日本剣道連盟の「剣道の理念」に示されるように「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」というものです。剣道の修錬によって人格の完成を目指すことがその目的であることを剣道家は忘れてはいけません。

 しかし、現在の「勝利至上主義」が進行し多くの剣道家の目的が「試合に勝つこと」に変質してしまった場合、剣道の価値は大きく失われると考えるべきだと思います。なぜなら、剣道がその目的を「勝つこと」とした場合、いわゆる「純粋なスポーツ」として剣道は他のスポーツと争わなくてはならなくなるからです。現在の少子化の中で日本の様々なスポーツ団体は競技人口の取り合いをしています。それは日本屈指のメジャースポーツである野球やサッカーにもいえることです。私は野球やサッカーをテレビで観るのが好きなのですが、これらのスポーツとしての魅力や発信力は凄まじいものがあると感じています。果たして剣道がこれらの巨大スポーツとの人口の取り合いに舵を切ることは正しいといえるのでしょうか。

 私はそうは思いません。剣道は昔から「きつい・きたない・くさい」などの汚名を着せられて、世間一般からは必ずしも楽しく気軽にできるスポーツとの認知はないと言ってよいでしょう。そのような状況で、「勝つこと」を目的とする他のスポーツとの色分けのできない競技となってしまった剣道にはどれだけの魅力が残っているかと疑問に思います。

 そういった観点から私は剣道のこれ以上の「競技化」には強い危機感を抱いています。もちろん冒頭述べたように、剣道にとって試合の勝ち負けは重要な要素です。それを否定するつもりもありませんし、特に学生剣道には勝ち負けを争う性質が強くてもしょうがないとも思っています。ただし、今以上にそれが進行して本来の日本刀の操作から著しく逸脱した竹刀の操作になったり、試合が極端に戦術化したりすることは避けなければならないと思っています。

 「競技化が確定」した剣道に私は未来を感じることができません。

 

判定にテクノロジーを採用

 仮に剣道がオリンピック競技になるという未来が訪れれば、有効打突や反則の判定方法について議論を呼ぶのではないでしょうか。(オリンピック競技になることに賛成というわけではありません)

 例えば考えられることは、「ビデオ判定」や「センサー判定」の導入です。

 3名の審判員の旗の表示が紅白に分かれた際、ビデオのスローモーション映像などで判定を確認するというのが「ビデオ判定」のイメージです。「センサー判定」については、剣道具の打突部位にセンサーを埋め込んで相手の竹刀が接触したら機械によって表示されるというイメージです。

 「わかりやすさ」でいえばこれらのテクノロジーの採用は大いに役立つかもしれません。差し違えによる誤判定を減らすというメリットさえもあると考えられます。

 しかしそれは本当に剣道にとって良いものなのでしょうか。

 私はこれも良いとは思いません。

 剣道の有効打突の条件は「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」とあります。ビデオやセンサーの判定によって、当たっているか当たっていないかや、先に当たったか後に当たったかは見ることができるかもしれません。しかし、「充実した気勢」や「残心」などはどうでしょうか。私はこれらの項目は後から見返して判断できる類のものではないと思います。例えば「残心」にしても出頭技や応じ技などの「打った瞬間の残心」などは本当にその場の瞬時の判断となりますが、それを映像で見て確認することは極めてナンセンスだと言わざるを得ません。

 剣道の試合では、お互いの気持ちのやり取りがあり、剣先の攻防があり、理合があって初めて有効打突が成立します。そこにテクノロジーが介在する隙間は今のところ1ミリたりともないと私は思っています。だからこそ、試合では審判員の立ち位置の関係で打突の瞬間が見えなかったとしても「経験則」と「音」と「その他の要素」によって基本的には棄権することなく判定を下すことができるのです。

 以上の理由から、私は剣道の判定にテクノロジーを採用することは不可能と考えます。しかしながら、万が一そのような未来が訪れた場合、それは「剣道の死」を意味するのかもしれません。

 

礼法の廃止

 今後の剣道界において、「競技化」が進行していくことになれば「礼法の廃止」は避けられないでしょう。もし廃止とならない場合にも今よりも簡略化したものになると考えられます。

 理由は、「勝ち負けを争うこと」や「楽しむこと」を主な目的とした場合に礼法を四角四面に行うことは合理的ではないからです。普段の稽古や練習試合であっても、礼を行う時間を省けば正直もう少し練習時間を確保できる可能性はあります。剣道の本来の目的からそれはできることではありませんが、「競技化」が進行してしまった未来の剣道界においては、礼法は「ないがしろにされるべき対象」と化しているかもしれません。

 確かに合理的ではあるかもしれませんが、礼法を廃止することは剣道にとって良い未来であるとはいえません。剣道は相手の身体を竹刀で打突するものです。かつては日本刀で斬り合う剣術というものでした。昔でいえば必死の覚悟で、今現在でも一歩間違えば相手を傷つけてしまうかもしれない危険と隣り合わせのものでもあります。故に相手を尊敬し、敬い、共に修行するものとして尊重しなければならないのです。そのためのカタチが礼なのです。

 「礼法が廃止」された剣道において武士道精神の居場所はどこに残されるというのでしょうか。

 

プロ化

 剣道の「プロ化」については様々な意見があるかと思います。

 明治時代に、撃剣興行というものがあったという話を聞いたことがあります。明治維新後の改革によって活躍の場を失ったかつての武士たちが見世物として剣術の興行を行ったものです。一種のプロ組織と言えるでしょう。この撃剣興行については様々な評価があるようですが、一説には剣術の乱れや質の低下の一因になったという評価もあるようです。(好意的な評価もあります)

 もしも剣道がプロ化することを考えるのならば、この過去の歴史を振り返らなければなりません

 撃剣が剣術の質の低下の一因になった理由、またなぜ現在に至るまで存続することができなかったのかということを考えるべきでしょう。

 それらの答えは、「見世物として興行を行うことと剣道の精神性が一致しない」ということにあると思います。観衆を入れて金銭の対価として見世物を行うということは、イコール観衆の興味をそそるイベント性のあることをしなければならないということです。それこそ先ほどの項で扱った「競技化」を派手に演出したり、「礼法の廃止」や変形させたりすることが見世物としては求められたのかもしれません。結果として、実力のある剣術家は撃剣興行から離脱し警察に転職をしたそうです。それが質の低下を呼び人々を満足させられる興行が実施できなくなり衰退していったのではないでしょうか。やはり剣道を志す者にとって、剣道で飯を食うということは理想なのですが、かといって自分の望む修行ができなければ嫌になるのも当然のことなのです。

 仮に現在の剣道界で相撲のように全剣連が剣士を召し抱え全国を巡業して回ることを考えた場合、撃剣興行と同じ失敗を繰り返さないという保証はどこにもありません(どれだけの剣士がこのギャンブルのような取り組みに参加するのか?という疑問はおいておきます)。また、他のプロスポーツのように大企業をスポンサーにつけてプロ化しようにも、現在の剣道に大金をはたく企業が存在するとは思えません。したがって、剣道のプロ化は現在のところ不可能もしくは撃剣興行と同じ道をたどる残念なチャレンジとしか評価のしようがありません。

 ただし、現在の発達した社会では様々な方法で剣道をプロ化する方法はあるかもしれません。団体や組織でという訳にはいかなくとも、個人単位では、いわゆる「剣道をマネタイズする」ということはもしかしたら可能なのかもしれません。ただし、その方法を間違えれば末路は撃剣と同じです。

 どちらにしろ剣道のプロ化は難しいうえに剣道の本質との両立が厳しいことは間違いありません。

 

まとめ

 今回は、

 「剣道の最悪なシナリオ【悲報】

 について解説しました。 

 ポイントは、「競技化の確定」、「判定にテクノロジーを採用」「礼法の廃止」、「プロ化」となります 

 剣道を修行する道のりは困難を極めます。しかしだからこそ皆稽古にいそしむのです。簡単なものではないからこそ魅力がある。正解のない、わかりにくいものだからこそ知りたくなる。それこそが剣道というものです。わかりやすく、楽しく剣道に関わることは一つの方法論ですが、それだけが残ってしまった剣道を私は望みません。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。 

 それでは。 

 

 

剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」

剣道
スポンサーリンク
シェアする
kendokawanoをフォローする
KENDO KAWANO(ケンドーカワノ)ブログ

コメント

タイトルとURLをコピーしました