こんにちは。
私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。
脱サラして剣道ブロガー兼Youtuber(現在準備中)に転身しました。
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今回は、「剣道小ネタ【正師を得ざれば学ばざるに如かず・剣道は老人が人に感銘を与えるスポーツ】」
について、取り上げていきます。
2つの話題を手短に説明していきます。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
「正師を得ざれば学ばざるに如かず」を考察
「正師を得ざれば学ばざるに如かず」とは、曹洞宗の開祖道元禅師の言葉で、剣道に当てはめて訳してみると、
「剣道を習うのに、正しいことを教えてくれる先生に習わなければ、誰にも習わないほうがましだ。」とでも訳せるでしょうか。
私は学生時代に先生からこの言葉をいただきました。この言葉には2つの意味が込められていると考えています。
一つ目は、訳通りの意味です。
この場合「正しいことを教えてくれる先生」というのは、「全日本剣道連盟の方針に合致した先生」と考えればよいと思います。私の先生は「剣道に自己流はない」とよくおっしゃっていましたが、その裏を返せば「全日本剣道連盟の示す方針」に従って剣道指導をすれば間違いはないということなのではないでしょうか。「全日本剣道連盟の方針に合致せず自己流の剣道解釈で指導をするような先生になら習わないほうがましだ」ということを言っているのではないかと思います。
二つ目は、剣道指導者に向けたメッセージです。
剣道の指導は少年剣道の道場が入口となります。もちろん中学校や高校、社会人になって剣道を始める方もたくさんいらっしゃいますが、少年剣道を教える指導者の責任は極めて重大です。知識や教養の未熟な子どもに初めて剣道を教えるのですから、その子の剣道観形成に大きな影響を与えることになるからです。
その極めて重大な責務を帯びた指導者が「『正師』でなければなりませんよ」という激励を込めたメッセージなのではないかと考えるのです。「あなたが、子どもたちに正しい剣道を教えることができなければ、子どもたちにとってはあなたに剣道を習わない方がましだということですよ」という厳しくも正当なるメッセージがこの言葉に込められています。
このように、剣道は誰に習うかが、その人の剣道観形成に非常に重要な影響を与えます。これから剣道を習う人は、盲目に指導者の言動を鵜呑みにするのではなく、「正師かどうか」の観点で指導者を見ることも必要ですし、また剣道指導者も自分が「正師」と呼ぶにふさわしい指導をしているかを常に自問自答しながら指導していかなければなりません。
このことは、剣道に限らずあらゆるスポーツ、生活の場面でも基本的には同じです。単に好き嫌いの問題ではなく、「自分にとって正しい方向へ導いてくれるものなのかどうか」を考えながら自分の接する会社・学校・友人・習い事について考えてみてください。
剣道は「老人が人に感銘を与えるスポーツ」
剣道は「生涯スポーツ」とよく言われますが、剣道の凄みを語ろうとするときに、それだけでは十分ではありません。
剣道は「老人が人に感銘を与えるスポーツ」なのです。
私の恩師は、私が初めてお目にかかったときすでに八十歳を超えておられました。田舎から上京した私が大学の剣道部へ入部したことで、初めて恩師の存在を知ったのでした。
当時の(私が大学1年生の時)大学の主将は、今(令和2年)でも全日本選手権大会などで活躍する剣道界の誰もが知るスーパースターの先輩が務めていらっしゃいました。私からすれば剣道雑誌や試合会場などでしか見ることができないそのような先輩方が目の前にいることだけでも「とんでもない所に来てしまった」と思ったことを記憶しています。そして当時の主将の先輩はやはり厳しく、強く、とても尊敬できる方でしたので、私は「やはり大学生は高校生とは考え方から振る舞いまでレベルが違うな」と感心しておりました。具体的には稽古に対する緊張感や集中度が考えられないくらい高いのです。稽古の開始前などは、まるでこれから本当の戦(いくさ)が始まるのではないかというくらいの気迫が道場に渦巻いていました。
そんな中で、稽古開始から数分後に恩師が道場へ到着されました。私はとっさに「おじいさんが来た」と思いました。その瞬間です。「こんにちは」という雷のような部員一同の挨拶が道場に響き、私のスーパースターである主将の額からタラーっと汗が流れました。一気に顔がこわばり否が応にもカラダに緊張感が伝わっているのが見て取れました。
何なんだこの「おじいさん」は??恥ずかしくも全日本的な剣道家である恩師の存在を知らなかった私はひどく不思議な気持ちになりました。憧れのスーパースターである先輩方が額から脂汗が流れるほど緊張している。しかも相手は「おじいさん」。
呆然としている間に恩師の指揮のもと稽古が始まります。「切り返し」「面の打ち込み」「区分稽古」と恩師から指示が出るたびにもの凄い勢いで部員一同隊形を整えます。恩師の笛で合図がかかれば死に物狂いで相手に打ち込んでいきます。その気迫たるや、およそ人間が出せる中で最大の気迫を振り絞っているとしか考えられないほどでした。
稽古が終わると「静坐」です。「顎をひいて」「奥歯をきりっと噛んで」「おしりに力を入れて」…永遠に続くのではないかと思わせる「真空」のようなひと時でした。
礼をして、講話が始まります。「長呼気丹田呼吸の話」「剣道とスポーツの話」「持田先生の話」…その時その時間に何を話していただいたかまではさすがに思い出せないのですが、田舎者で大した知識もなかった私にとって目から鱗が落ちるような話ばかりであったと記憶しています。
その日一日が終わったときに、私の胸には二つの思いが去来しました。一つは、「こんなにきつかったことも久しぶりだし、クタクタでもう何もしたくない」という思いです。そしてもう一つは、「私は一生この先生の教えを大切にして生きていこう」という思いです。私はすでに恩師の剣道観に没入していました。理屈ではなく、恩師の剣道家としての立居振舞が私をそうさせたのです。それからの私の大学4年間は私の中で一生の宝物となる時間でした。私にとって剣道のすべてを恩師から教わったといっても過言ではありません。
ちなみに恩師は、大病を患ったことで剣道具をつけての稽古はされませんでした。願わくは私も稽古をいただきたかった思いはありますが、それに比類する素晴らしいご指導をいただいたと思っております。
このように、剣道を通じて「感銘を受ける」ことは、たとえ相手が何歳であろうがあるわけです。しかも、「実際に稽古をするしないに関わらず」です。もし全日本選手権大会や八段大会で活躍された恩師に稽古をつけていただいたならば、感動も二倍だったかもしれません。しかし、それでも私は十分な薫陶を受けることができました。
私は今、自分のそういった経験についてブログ記事に書いているわけですが、これはある意味で自分に与えられた使命でもあると考えています。剣道の奥深さ、剣道の素晴らしさ、そういったものを少しでも皆さんにお知らせすることができればよいと思いこの記事を執筆しました。
まとめ
今回は、
「剣道小ネタ【正師を得ざれば学ばざるに如かず・剣道は老人が人に感銘を与えるスポーツ】」
について解説しました。
ポイントは、①あなたにとってあなたの先生は学ぶに値する先生ですか?生徒にとってあなたは学ぶに値する先生ですか?、②剣道界のスーパースターをも傾倒させる我が恩師に受ける感銘、の2つです。
私の剣道人生は幸運にも素晴らしい先生との出会いに満ちています。あとは私がその教えを磨き、正しく継承できるかの勝負であると思っています。師の背中は遥か彼方にありますが、「人に感銘を与える老人」を目指してこの先も剣道人生を歩んでいきたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。
それでは。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
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