剣道の引き技は学生が一番上手い理由【事実】

学生 剣道

 

こんにちは。

私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。

脱サラして剣道ブロガー兼YouTuber(現在準備中)に転身しました。

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今回は、

「剣道の引き技は学生が一番上手い理由

について、取り上げていきます。

 

 

剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」

 

剣道の引き技は学生が一番上手い理由

 剣道で引き技(下がり技)と言ったら「学生」ですよね。社会人剣道家の皆さんにとっては「引き技?そんなもの使わないな」という程度のものかもしれません。特に試合に出場される機会が少ない方の場合はなおさらでしょう。

 この記事では、「なぜ学生たちは引き技を打ち、そしてなぜ引き技がうまいのか?」ということについて解説していきます。

 項目は2つです。

 ・「前の技」=「引き技」という価値観

  ・「引き技」は「前の技」に比べて超簡単

 順に解説します。

 

「前の技」=「引き技」という価値観

 社会人剣道家の多くの方は、いわゆる「前の技」を「引き技」よりも重視しているのではないでしょうか。例えば大人の稽古会の基本稽古において、引き技の練習をするでしょうか?またするにしても、より多くの時間を割いて練習するでしょうか?答えはノーだと思います(あくまでも多数の話です)。

 上記の事実は、社会人剣道家の価値観の中で「前の技」>「引き技」という価値観が成り立っているということに他なりません。それもそのはずで、剣道には「初太刀一本」という言葉があり始めの一本が最も重要とされています。はじめから鍔迫り合いをしている人はいませんので、必然的に相手と構えあった場所から打突する「前の技」が重要とされるのは自然なことです。

 では、学生剣道に目を向けてみましょう。私には多くの学生たちは「前の技」=「引き技」という価値観をもっているように感じます。その証拠として、例えば高校生の試合を見てみてください。試合時間の半分ほどが鍔迫り合いに費やされています。つまり、「前の技」と「引き技」は学生たちにとってハーフ&ハーフの存在と言えます。学生たちの価値観はなぜ大人と異なるのでしょうか。原因を考察してみます。

①「勝つ」という結果が重要か、「どう勝つか」という過程が重要か

 一つ目の理由として試合に勝利することの意味の違いです。多くの学生剣道家にとって試合は結果が全てであり、たとえどのような勝ち方でも「勝つ」ことに最大の意味があり、あまりその内容にはこだわりがありません。つまり、簡単に言ってしまえば「引き技だろうが前の技だろうが一本には変わりない」というのが彼らの立場ではないかと思います。その意味で、試合時間の多くを占めている鍔迫り合いから繰り出される引き技に重きを置いて、前の技と同等の価値とすることは極めて合理的とも言えます。

 それに対して社会人剣道家は、相手にどう打ったか?なぜ一本になったか?ということを大切にします。つまりそれは「打突の過程」であり「理合」です。例えば八段大会で範士の先生がよけまくってひっつきまくる試合をしているのを見たら、たとえ試合に勝利したとしても観衆は称賛するでしょうか。おそらく彼には批判が渦巻くでしょう。なぜなら観衆は、最高位である範士の先生に対して一種の答え合わせを期待しているからです。「理合」という複雑で難解な攻防の一つの答えを提示してくれることを期待しているのです。この感情こそが社会人剣道家の根源であって、奥深く答えのない「理合」を探求することこそが剣道そのものの価値だとすら考えている人も少なくはないでしょう。従って、社会人剣道家は「前の技」>「引き技」という価値観を持つのだと思います。

 このように、学生剣道家と社会人剣道家の間には「試合に勝つ」ことに対する考え方に大きな手だたりがあるため両者の「引き技」に対する価値観も異なってくるということです。

②「引き技」は「前の技」に比べて簡単

 二つ目の理由として、「引き技」の技としての難易度に原因があると考えます。詳しい内容は次の項に譲ります。

 

「引き技」は「前の技」に比べて超簡単

 完全に私見となりますので、異論がある方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私の経験から私なりの答えとしては、「「引き技」は「前の技」に比べて超簡単」です。理由を説明します。

  まず、基本的に剣道の「理合」というものは「答えがないもの」あるいは「答えを見つけることが困難なもの」であるという共通認識が必要です。だからこそ、京都大会で範士の先生方の立会いを拝見して勉強したり、八段大会で勉強したり、全日本選手権で勉強したりするのです。

 ではなぜ「理合」は難しいのかといえば、「理合」とは「自分と相手との心のやり取り」であるからに他なりません。自分の心ならまだしも、相手=他人の心の内を知るということは到底できることではありません。従って相当な実力者だとしても、剣道の場合打突というものは推論に基づいて発出されるものと考えられます。そこに確定的なことなど何もないのです。自分の精神が充実して、かつ相手に隙があると推定された瞬間に、意を決して打突を繰り出すのです。そんな剣道家の精神をあらわした歌があります。

 切り結ぶ 太刀のもとこそ地獄なれ 只踏み込め神妙の剣    宮本武蔵 (諸説あり) 

 太刀を切り結んだ状態、つまり一足一刀の間合いは地獄なのです。そこから脱出するためには意を決して打ち込むしかない。覚悟を決めたら「えーい」という気持ちも重要だということです。

 このように、「理合」というものは非常に不確定の要素が大きく大変難解なものです。そして言うまでもなく「前の技」と「引き技」を比べたとき、「理合」は「前の技」により関わってきます。従って、「前の技」を習得することはとても困難なことということができるのです。

 次に本題の「引き技」の話に移ります。「引き技」に「理合」がないかと言われたら、全くないということはないと思います。しかし私の偏見でいわせてもらえば、「「引き技」は人間の「心理」と「反射」を利用する技である」と考えています。

 例えば、高校生や大学生がよく使う引き技の一つに、「離れ際の引き面」という技があります。これはまさに「心理」と「反射」を組み合わせたものです。「離れ際」というのは、鍔迫り合いからお互いに半歩(あるいは一歩程度)下がったところという意味です。(高校では鍔迫り合いを解消するときに打突をしてはならないという申し合わせがありますが、実際には抜け道があります)つまり相手の「心理」は、「下がって仕切り直し」という気持ちでこちらの「引き面」に対する警戒を怠っています。そして「反射」という意味では、離れ際(中間間)という至近距離で警戒を怠る相手に対し鋭く速く引き面を放つことによって相手に反射させないということが意識されています。この技が見事に決まれば、自分自身はノーリスクで相手から一本を奪うことができるというものです。

 このように「引き技」は割と理屈で説明しやすい技が多いのです。他にも「目線」を利用したもの、「前後左右の体重移動や足さばき」を利用したもの、「崩し」を利用したもの、「かつぎ」を利用したもの、など例を挙げれば枚挙にいとまがありません。要するに「身体の動きによって相手の心理状態をこちらの思い通りに誘導し、隙を作りだして打つ」という技法が引き技に多い打ち方です。先ほども書いた通り、うまくいけば相手はノーチャンス、こちらはノーリスクで打てるという一石二鳥の技でもあります。また、型がある程度理解できれば、反復練習によって誰にでも習得可能ないわゆる「簡単お手軽」な技でもあります。

 このように難解な「前の技」に比べて簡単な「引き技」は、テクニカルな剣道指導者にとっては腕の見せ所となります。教え方次第では、生徒を短期間で強くすることができるからです。実際に私も高校生に指導する際、あらゆる資料(動画)を研究して、成功率の高いいくつかのパターンを導き出しテキスト化して生徒に教えていました。実際に「引き技」がうまい選手の映像をよく見ていると、どこからでも適当に引き技を打っているわけではなく、自分の型を持っており、そこに相手を誘導して打っていることがわかり、実際に決まっている技はいつも大体一緒だということがわかりました。私の場合、そのいくつかのパターンの中からとっつきやすそうな技を数種類自校の生徒に提示して繰り返し練習させました。結果、それまでは引き技が全くといってよいほど打てなかった生徒たちが各々自分に向いている技を習得しはじめ、九州大会で3位になったり県大会でも上位に進出したりできるようになりました。

 少し話が逸れましたが、このように「「正解のない理合」の中で意を決して放たなければならない「前の技」に比べて、「反射」と「心理」」を利用して相手を誘導しノーチャンスノーリスクで打つことができる「引き技」は簡単である」と結論づけることができます

 

 最後に、私は「引き技」を礼賛しているわけでも逆に軽んじているわけでもありません。どちらかといえば、「答えのない世界」に憧れて永遠に答えを探してる今日この頃です。現実の学生剣道家たちの引き技に対する価値観について取り上げたかったのでこの記事を執筆しました。

まとめ

 今回は、

 「剣道の引き技は学生が一番上手い理由

 について解説しました。 

 ポイントは、「前の技」=「引き技」という価値観」、「引き技」は「前の技」に比べて超簡単」となります 

 剣道を長く続けていけば、色々な発想や思いを持つようになると思います。学生剣道家と社会人剣道家の価値観に多少の食い違いがあっても問題はないと思います。やがてみな年を取り、またその時々の考えを持つようになります。全ての剣道家にとって、剣道が人間形成の道となるように願っているだけでよいのです。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。 

 それでは。 

 

 

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