こんにちは。
私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。
脱サラして剣道ブロガー兼YouTuber(現在準備中)に転身しました。
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今回は、
「手段が目的化してしまう剣道家のジレンマ」
というテーマを取り上げていきます。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
手段が目的化してしまう剣道家のジレンマ
全日本剣道連盟が定める剣道の理念は言わずもがな、
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道」
です。
しかし、幸か不幸かこの理念が全ての剣道家によって正確に運用されているかと問われれば、答えは否です。
「勝利至上主義」とか「試合偏重」という言葉を昨今の剣道界で耳にすることが、その事実を裏付けています。
剣道家は「剣道の理念」に沿って剣道の修行をしているはずなのに、なぜ「剣道の理念」が正しく運用されない場面が出てくるのでしょうか?そこには「手段が目的化してしまう剣道家のジレンマ」の存在が関係していると私は思っています。
この記事ではその謎に迫ります。
項目は2つです。
・日本式部活動に組み込まれた剣道の「スポーツ化」
・剣道界の中枢にいる人種
順に解説します。
日本式部活動に組み込まれた剣道の「スポーツ化」
私の見知った環境での話になりますので、偏った意見となるかもしれません。
私の知る限りで「子どもたちが剣道を習う場所」について考えてみると、小学校は道場が中心、中学校以上は学校の部活動が中心といった認識です。
このことは剣道が「勝利至上主義」に走り、「理念」が置き去りにされた一つの理由である可能性があります。
考えてみれば、「道場」というのは道場主が「剣道を教えたい」という想いから自分で道場を開くのであって、道理からすれば基本的に「剣道の理念」に沿った指導をしそうなものです。
逆に学校の「部活動」は、「大会に出場する」ことや「大会で勝つこと」が初めから大きなテーマや目標として存在しており、そこに各競技種目があてがわれていくというようなイメージがあります。もちろん部活動の本来の目的は「試合偏重」や「勝利至上主義」でないにしても、真剣に部活動に取り組むほどその傾向が強いという事実は歴然としています。
剣道も中学生以上は部活動が活動の中心地となるにしたがって、否が応でも「中体連」の都道府県大会や各地域ブロック大会、全国大会といった「試合」を目標に活動をしていかざるを得ません。そこで、「剣道の理念」と「試合に勝つ」ということのバランスが崩れてしまう現象が起こっていると考えられます。
試合は剣道修行の手段であり、考え方を間違わなければ極めて有効なものであると考えていますが、あくまでもそれは「手段」であり、試合が目的となってしまえば、最悪は「勝つためには何でもしてよい」という思考法につながりかねません。
中学生や高校生といった成長過程の若者たちは、指導者がうまく導いてやらなければそのバランスを保つことは容易ではありません。
その意味で、子どもたちが正しく剣道を学ぶことができるかどうかに深く関与しているのは、部活動の指導者です。剣道経験者の先生ならば、子どもたちに「正しい剣道を教えてあげよう」と当然思うでしょうが、同時に「大会で良い成績をあげさせてあげたい」とも思います。しかし、私の教員としての経験上「まっとうな剣道で試合に勝たせることは非常に難しい」です。
逆に言えば、「少しこざかしい手法を使えばある程度勝つことができる」場合もあります。しかしそれは言い方を変えれば「卑怯」とも取られる行為かもしれませんし、「剣道の理念にもとる」行為かもしれません。
そこに部活動指導者の「ジレンマ」が存在します。
「正しい剣道を教えたい」けど「試合でも勝たせたい」。この二つを天秤にかけて指導者は頭を悩ませることになるのです。
どちらを取るか、それとも両立させるかはその指導者次第ですが、日本の部活動システムにより合うのは「努力する過程を大切にしながら試合で勝つ」ということでしょう。つまり、「正しい」と「勝つ」を天秤にかければ、部活動的には後者が正義です。(努力をする過程において人間形成につながる人格的成長は見られると思いますが、「剣の理法の修錬」とは少し外れてしまいます…)
このようにして、部活動を通して剣道の修行の手段である「試合に勝つこと」がいつの間にか「目的化」されていき、本来の「剣道の理念」が忘れ去られてしまう場合があるのです。
剣道界の中枢にいる人種
「剣道界の中枢にいる人種」などと書くと、ネガティブなイメージで書いていると思われそうですが、決してそのようなつもりはありません。
全国の剣道愛好家には、たくさんの世代や職種に関わる人々がおり、ある考え方では「中枢の人種」などという言葉自体存在しないとも言えるでしょう。
この記事では、雑誌や動画などのメディアへの露出が多く剣道を始めた子どもたちへの影響力が強いという観点から「中枢の人種」を割り出していきたいと思っています。
ズバリ、結論から言えば剣道の中枢にいる人たちは「警察官」でしょう。
ご存知の通り、全日本選手権の歴代優勝者といえばほとんどの選手が各都道府県の「警察官」です。また、八段の合格者、剣道連盟の要職を務める人数など各種データを見てみても様々な職域のなかで突出した存在であると言えそうです。
そういった意味で、剣道雑誌への露出や試合動画等の露出も当然多く、少年剣士たちの憧れという意味でも「警察官」が「剣道の中枢」という考え方もできます。
それもそのはずで、警察官は剣道界の中では「セミプロ」的な存在であり、公務員ではありながらも稽古を積む環境としては右に出る者がいません。しかし裏を返せばそこに警察官のジレンマがあるような気もします。
彼らは職務の一環として剣道に携わっているからこそ、まさに「道を極める」ことが可能な環境にいます。しかし職務の一環として行っているからこそ、外圧つまりプレッシャーも強いはずです。「試合に勝たなければ面目が立たない」という思いに常に駆られている可能性があります。
また、身体競技である以上、スポーツ的には年齢に限界があるわけで、選手の入れ替えの激しい世界でもあります。「試合で結果を残せなければ若いものに取って代わられる」というプレッシャーを抱いている人も少なくないでしょう。
そういった様々な外圧によって、本来剣道の修行に一番向いているはずの、また子どもたちに憧れられるはずの、警察官の方々でさえも「試合で勝つ」ことに重きを置いた試合剣道に身を投じざるを得なくなるのです。
過去に警察大会を見学させていただいたことがありますが、それはもう殺伐とした雰囲気が会場を満たしていたことを覚えています。試合自体もまさに都道府県警察の威信をかけたプライドとプライドのぶつかり合いという感じの試合ばかりでした。レベルも非常に高かったです。ただし、それが剣道的に「正しいのか」と言われるとそこには正直疑問符がつくような気がしました。
こういったことからも、剣道の中枢におり剣道の修行に一番向いている環境を享受する警察官でさえも、様々な外圧の影響で「正しさ」と「試合で勝つこと」の間でジレンマを抱えている状況があるようです。
そしてその傾向は当然、警察官を目指す大学生(高校生)、大学生を目指す高校生といった具合に、残念ながら下の世代下の世代に伝播していかざるを得ません。
つまり今現在の剣道界を取り巻く環境そのものの中に、「手段が目的化してしまうジレンマ」が存在しているということになり、そのことによって「剣道の理念」が正しく運用されない状況が生まれている可能性がある。ということになります。
まとめ
今回は、
「手段が目的化してしまう剣道家のジレンマ」
について解説しました。
ポイントは、「日本式部活動に組み込まれた剣道の「スポーツ化」」、「剣道界の中枢にいる人種」、となります。
私の分析では、最近の高校生は全体的に10年~15年前に比べて剣道が良くなっている印象があります(偉そうに申し訳ありませんが教員としての目線で語らせてください)。理由としては、高体連の鍔競り合いに関する申し合わせ事項が大きく影響しているような気がします。
こういった剣道連盟や各関係団体・組織の施策によって、もし間違えた方向に我々が進んでいるのであれば補正していくという作業はとても大切だと思います。
全日本選手権を見てみても、最近活躍されている選手の皆さんは一昔前の先生方と少し剣風が変わっていると感じませんか?私はこのことについても高校生→大学生→一般というよい流れの伝播の中にあるのではないかと考えています。
ともあれ、最終的には我々一人一人の剣道家がどういった心持ちで剣道に関わっていくかということがとても大事になってくると思っています。どのようなモチベーションで剣道に携わるかということは人それぞれの自由ですが、せっかく日本の歴史の中で育まれた伝統文化なのですから、一つ一つの動きに組み込まれた先人の息吹を感じながら剣道の修行をしていきたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。
それでは。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
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