こんにちは。
私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。
脱サラして剣道ブロガー兼YouTuber(現在準備中)に転身しました。
詳しくはプロフィールをご覧ください。
今回は、
「剣道で成長を実感するとき」
について、取り上げていきます。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
剣道で成長を実感するとき
剣道の稽古をする際、多くの場合は毎週決まった曜日に同じ道場で同じメンバーと稽古をするという方が多いのではないでしょうか。それは全く悪いことではないのですが、同じ場所や同じメンバーだからこそ、自分が成長しているかどうかは実感しづらいものです。今回は、剣道をやっていて自分が成長できていると実感できる瞬間について書いていきたいと思います。
項目は3つです。
・試合に勝ったとき
・稽古で打てるようになったとき
・昇段審査に合格したとき
順に解説していきます。
試合に勝ったとき
剣道をするうえで一番成長を実感しやすいタイミングは、「試合に勝ったとき」でしょう。正確にいえば「前回の試合よりもたくさん勝ったとき」や「前回勝てなかった人に勝ったとき」と言った方が良いかもしれません。
当然のことながら、試合に勝つということは努力の賜物です。前回の試合を振り返って、改善点を見つけ次の試合まで鍛錬を積んでいるわけです。その練習の成果が発揮されて試合に勝利した瞬間は絶対的に「成長を実感できる瞬間」です。
私の指導した生徒のことを書きます。
彼は中学校で剣道をはじめて、3年間頑張りましたが思うように結果が出ず、最後の夏は団体・個人ともに地区大会で敗退しました。市大会にも県大会にも出場することは叶いませんでした。そして高校に入学して私の指導する剣道部へ入部しました。彼は私と3年間寝食を共にしひたむきに剣道に取り組みました。もちろん1年生そして2年生になっても簡単に試合に勝つことはできませんでした。稽古でも相当に厳しく指導を受け、それでもへこたれずに努力を重ねました。下宿でも自主的にトレーニングに励んでいました。3年生になり、彼はなんと九州大会に出場しました。入学した時とは比べ物にならないくらい身体も大きくなり剣道も強くなっていました。そして九州大会では個人でまさかの第3位に入賞することができました。当時の入賞者の学校名を挙げるとそのすごさがわかります。九州○○高校、高〇〇高校、福○○○高校、そして彼です。しかも、九州大会の準々決勝では中学校の地区大会で敗れた相手との3年ぶりの対戦を制しての第3位です。試合が終わった後の彼の表情や私自身の充実感は忘れられません。本当に成長したなと思いましたし、彼も自分に自信を持つようになりました。
このように、試合に勝つということは=成長と言ってよいでしょう。もちろん、優勝とか何位などが全てではありません。1勝でもよいのです。自分が何か努力をして、少しでも納得して、少しでも充実感を感じることができれば、それは成長です。
試合に勝つ充実感は、さらに剣道家を成長させる薬となります。
稽古で打てるようになったとき
日常の稽古で成長を実感するのは、「今まで打てなかった相手に打てるようになったとき」です。特に社会人の剣道家にとっては日常的に試合と関わりのない剣道ライフを送っている方も多いのではないでしょうか。そのような人は日々の稽古で自分の成長を実感するべきです。
少し話が逸れますが、私は「一期一会」という言葉が好きです。剣道に置き換えたらどういう意味だろうと考えました。私なりの答えは、「日本刀の真剣勝負で同じ相手と相対するのは一度きりに決まっているのだから、竹刀剣道であっても、たとえ相手の特徴をよく知っていたとしても初めから作戦を立てて勝負を挑むのではなく、いつも自分の信じた打突の機会で勝負しよう。」というものです。つまり、相手はいつも初太刀は面返し胴を狙っているからフェイントをかけて小手を打ってみよう。とするのではなく、自分が出頭で面を打つと決めたら邪念を入れずにそれのみを狙って打つ。という姿勢をとるようにしています。もしかしたら「一期一会」と関係ないかもしれないですが、自分なりにそういう理屈を作りました。
話を戻します。私はこのような稽古をしてみて感じたことがあります。出頭の面を打ちたいと思って、基本練習でも重点的に練習します。稽古で試す。また練習する。これを繰り返していくうちに、まったく同じ相手でも打突の機会が見えてくる瞬間が訪れることに気づいたのです。「今なら胴を返されずに面を打てる」という瞬間が自分の中に見えてくるのです。つまり、相手は変わっていないわけですからそれは自分の成長ということになるのではないでしょうか。
普段、打った打たれたと一喜一憂して楽しく汗をかく稽古をしているという方も多いと思います。私もそのような稽古が大好きですし、剣道を長く続けるコツはそういった稽古の仕方にもあると思います。そこに研究して改善するというスパイスを加えることができれば、また違った喜びを味わうことができるかもしれません。成長という喜びです。
昇段審査に合格したとき
剣道人が最終的に目指すところは、段位の取得だと思います。かくいう私は、学生の頃までは段位否定論者でした。「別に段位が高くたって何の意味もない」と考えていました。しかし今は違います。もちろん今でも「八段だから神様だ」などとは思っていませんが、今は段位に意味を見出すのは自分自身だと考えています。
第三者の目で客観的に自分の技量を審査されることは、極めて公平です。したがって、自分がその段位にふさわしい剣道家かどうかをはかるために昇段審査はうってつけのツールといえるのです。逆にいえば、そういう目線で昇段審査に臨んだ時にはじめて昇段審査が意味のあるものとなるのかもしれません。
私が昇段審査の重要性(自分にとって成長をはかる重要な尺度となること)を深く認識したのは、六段審査のときです。
恥ずかしい話ですが、私は過去に全国大会等に出場した経験もあることから六段審査は一度で合格するだろうと思っていました。そしておそらく、それは可能だったと今でも思っています。しかし現実には私は六段審査に一度で合格することはありませんでした。原因は何か?もちろん一言でいえば実力不足です。落ちたときは自分でも「落ちるだろうな」と感じるような立会いでした。それではそのような立会いしかできなかった理由はなにかと考えてみると、そこには自分の剣道に対する取り組みの甘さがありました。
六段審査の受審にさしかかる数年間に自分の稽古をかなりおろそかにするようになっていたのです。仕事の立場上やむおえなかったというのは言い訳で、本当に週に1回や2週に1回という程度しかきちんとした自分の稽古をしないようになってしまっていました。今振り返ると体つきもだいぶ丸くなり、頭の中の自分と現実の自分がまるっきりリンクしない現象を放置したままにしていました。
その結果が審査の立会いとして現れたのだと思います。それでも、相打ちの覚悟で全身全霊で打ち込んでいれば万が一ということはあったのかもしれませんが、私の立会いは「逃げ」の立会いでした。相手に打たれることを恐れて際どい場面で思い切った技が出せず、何となくズルい所で打っているような感覚でした。見ようによっては何本か打っているし、相手からは打たれてはいないのですが、先ほど書いた通り自分でも「落ちるだろうな」と感じる手応えのないものでした。
私は自分の考えを改め、六段昇段に向けて努力することにしました。簡単に言えば真面目に稽古をするようになりました。結局合格するときは自分でも「間違いないだろう」という手応えがある立会いができました。そして審査を合格した私は、自分の中で「一つの山を越えることができた」と成長を実感することができました。
特に六段以上の全国審査になると、ある程度のボーダーラインがはっきりと引かれると感じています。目に見えるものではありませんが、何となく「受かる」「落ちる」という線がわかるような気がします。その線を越えられなかった過去の自分と、越えることができた後の自分を比べることによって、自分の確かな成長を実感することができるという意味で、昇段審査は最高のツールと呼べると思います。
まとめ
今回は、
「剣道で成長を実感するとき」
について解説しました。
ポイントは、「試合に勝ったとき」「稽古で打てるようになったとき」「昇段審査に合格したとき」となります。
剣道で勝ち負けだけを競うことには何の意味もありませんが、自分の成長の尺度として試合の勝ち負けや、稽古の勝ち負け、または昇段ということを捉えることは修行の上手な方法なのではないでしょうか。大切なことは「自分が感じとれるかどうか」という点です。「たまたま勝っちゃった」「たまたま受かっちゃった」では残念ながら成長なしかもしれません。自分がどのように成長してその成果が表れたのかといことを感じられるアンテナをいつも貼っておくことが必要です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。
それでは。
剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」
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