日本の剣道が良くなる唯一の方法【剣道家必読】

武士 剣道

 

こんにちは。

私は剣道ブロガーのKENDO KAWANOと申します。

脱サラして剣道ブロガー兼Youtuber(現在準備中)に転身しました。

詳しくはプロフィールをご覧ください。

 

 

今回は、

「日本の剣道が良くなる唯一の方法

について、取り上げていきます。

 

 

剣道具職人のいる店 剣道防具工房「源」

 

日本の剣道が良くなる唯一の方法

 剣道の発祥が日本であることは言うまでもありませんが、今や剣道は多くの国と地域で愛好され親しまれています。それ自身は大変素晴らしいことであり歓迎すべきことです。

 ただし、日本の剣道は果たして正しく外国の剣道家に伝わっているのでしょうか?また、我々は外国人に剣道を教える際に、正しい日本の剣道を教えることができるのでしょうか?このことについては、正直私にとっては強く疑問に感じるところがあります。

 理由は、今、日本の剣道が乱れているからです。「今」といっても、剣道が乱れていると言われてから何十年が経過しているでしょうか?剣道の乱れとはすなわち「手の内の乱れ」や「刃筋の乱れ」と解して構わないと思います。

 前置きが長くなりましたが、この項では剣道の乱れをなくし「日本の剣道を良くする方法」を解説します。

 2つのポイントがあります。

・試合をなくす(非現実的最良の方法)

・審判を正す(現実的高難度の方法)

 以上の2つです。順に説明します。

 

・試合をなくす

 剣道が乱れる理由は何でしょうか?それは一重に「勝利至上主義」によるものです。現代剣道が勝ち負けに重きを置きすぎているがゆえに、「手の内」が乱れ「刃筋」が乱れるのです。いささか誤解がありそうなので補足しますが、「勝利至上主義」自体は剣道にとって唯一無二といってよほど大切なものです。それは私が「人間形成の極致」には最強の剣士像があるはずだと思っているからです。しかし現代剣道における「勝利至上主義」は「人間形成の極致」を探求するためではなく、まさしく「勝つこと」そのものが目的となっているのです。したがって、相手に打たれまいとする竹刀の握りや剣先の動きが生まれ、審判の旗を上げさせるテクニックとしての打ち方が流行しているのです。

 現代の若い剣道家の一定数は試合の勝ち負けによって自分の進路が切り開かれることを知っています。また、若者を指導する人々もそういったテクニックを指導することで若者を導き、さらには自らももてはやされる存在になれることを知っています。したがって、勝つことそのものを目的とした「勝利至上主義」が発現しているのです。

 「武士道は名誉のために勝利を求め、現代の剣道家(全員ではありません)は欲のために勝利を求める」のです。

 そしてそれを防ぐ方法として最も正しいのは、「試合をなくす」ことです。実際に私の恩師が全日本剣道連盟の副会長時代(その後もですが)に「剣道の乱れ」を危惧して「2年間の試合禁止」という私案を話されていたことがあります。つまり日本の剣道の中枢にそのような考えが存在しているということです。確かに、剣道から試合がなくなって稽古だけになれば、おのずと試合に勝つことだけを習得したり教えたりすることはなくなるはずです

 しかし、残念なことにそれは現実とはなりませんでした。日本中の剣道家がこれに合意することは難しいからです。また別の記事にも書いていますが、私は若い剣道家が多少正しさから逸脱して勝つことに固執することは決して悪いことばかりではないとも考えています。

 そのような理由から、「試合をなくす」という方法は最適ではあるが非現実的な方法と言わざるを得ません

 

・審判を正す

 では日本の剣道を良くする方法は他にどのようなものがあるかと考えてみると、残された方法は「審判を正す」というものだと思っています。

 これも恩師の受け売りですが、こういった言葉があります。

 「審判が良くなれば試合が良くなる、試合が良くなれば剣道が良くなる」

 ご存知の方もいらっしゃると思います。まさに言葉の通りであり、「試合をなくす」ことができないのならば試合を裁く「審判が良くなる」以外に方法はないのです。

 剣道の試合審判規則第1条には、

 剣の理法を全うしつつ、公明正大に試合をし、適正公平に審判すること (抜粋)

 と書かれています。

 つまり、剣道の試合では、「公明正大に試合をする試合者を適正公平に審判する」というのが審判員の任務ということになるのです。「公明正大」とは「私心がなく堂々としているさま」のことなので、それに反した振る舞いや打突について審判は厳正に対処するべきなのです。

 ただし、現実の審判はそのようにすべてが上手くいくわけではありません。どうしても先入観が入ったり、打突の強度や音にばかりつられて刃筋を見落としたりと色々な邪念が私たちには付きまといます。

 私も主に中学生や高校生の試合で多くの審判をしてきましたが、この一本でこの子の将来が変わってしまうかもしれない、この反則でこの子の進路が絶たれるかもしれないという雑念が常に頭をよぎります。時には判断の誤りにつながったこともあったのではないかと自戒しています。

 したがって、「審判を正す」ということはかなり難易度の高い取り組みとなってきます。しかし、各審判員が試合審判規則に沿って「有効打突を見極め」、「取るべき反則を取る」ことができれば、必ず試合は良くなるものと思います。

 ちなみに、「審判を正す」ための具体的方法とは、「審判講習会に参加する」ことと「審判経験を積む」ことと「稽古をする」ことのみです。しかしどれが欠けても良い審判はできません。参考にしていただければ幸いです。

 

まとめ

 今回は、

 「日本の剣道が良くなる唯一の方法 

 について解説しました。 

 ポイントは、「試合をなくせば簡単だが非現実的」、「審判が良くなれば剣道が良くなる」、です。 

 私は時々、なんで剣道に試合があるのかなぁ?と考えたりします。稽古で自分の技量の不足がわかるし、稽古の方が時間などの制約もないし十分じゃないかと思ったりもします。でもそれは恐らく間違いで、「試合には試合でしか得られないモノ」が存在するはずです。それは「不退転の決意」なのか、「明鏡止水の境地」なのかわかりませんが、必ずそうだと思っています。であれば、試合は剣道にとって必要不可欠であり、剣道の大きな一部です。

 これからも試合がそのようなものであり続けるために、みんなで試合を良くしていけるようになればよいと思います。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。 

 それでは。 

 

 

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